書評の寄稿中

書評の受注

クラウドソーシングで、あるところから、「最近読んで気に入った本」についての、書評を受注し、仕事の空いている時間に書いています。

おかげで、本を読む量が格段に増えました。最初は、もともと持っていて、電子化(自炊)してあったものや、電子本で持っていてオススメの本の書評を書いていました。その後は、買った本や図書館で借りた本を読んで、書評を書いています。今では図書館で借りる本が圧倒的に多いです。

気づいたこと

書評を書いていて気付いたのは、概要を書くかどうかです。私は、基本概要は、書かないようにしています。最近、書評を書いたあるエッセイ本では、多くの本の書評が書かれており、本の概要もエッセイ本の著者の文章で書かれています。

書評で、概要を書くのは私は極力避けています。例えば、コンピュータのプログラミング本を書いた場合、その本の肝になるであろうところについて、存在することは私の書評で示しますが、その肝が何であるかは、示しません。そこが、書評を書かせてもらった本の売りですもんね。

書評は、現在までに52本納品させてもらいました。書評のために読んだ本は、実はもう少し多くて、*1.1ぐらいです。1割ぐらいの割合で、書評にはできない、またはしたくない本に巡りあってしまいます。

理由は、その本がお薦めできないというよりは、私自身が読んで面白くない、気に入らないという理由です。

例えば、私のお気に入りの作家の本で、まだ読んだことがなかった文庫本を図書館で借りてきて読み始めたのですが、設定上真面目そうな主人公が「16歳でタバコを吸っていた」という下りがあり、それだけでボツにしました。結局その本はそこで図書館に返してしまいました。ものすごく単純で個人的な理由です。私も10代でタバコを吸ったことがあるので人のことは全く言えないのですが、頭に残ってしまった主人公の資質はもう消えないのです。よくよく考えれば、真面目一本やりで主人公を美化しない作品の方が現実的で良いのでしょう。それでも、一度気になったら、もうアウトで、書評にしませんし、もう読めません。

余談

私が10代(大学に入ってから)でタバコ吸ったのは1回で、それ以降は1本も吸ってません。というか友達にもらって試して吸えなかった、体が受け付けなかったというのが結果です。家はタバコ吸わない家系なので、遺伝でしょう。マンガのパタリロで、パタリロがアンブローズ ビアス著「悪魔の辞典」に凝っていて、バンコランがタバコを吸っている時にパタリロがタバコのことを「国家が国民に売りつける毒!」(パタリロより)と言ったシーンがあったと覚えています。もう30年以上前の話ですが。そのあと、私も「悪魔の辞典」も買いました。私流にタバコの意味を答えるなら「国家が国民から税金を徴取する際に、金額をあげても、健康を理由にできる便利な毒」です。あまり、うまくないです(タバコがうまくないというのと、答えがうまくない、というのを掛けてます)。「悪魔の辞典」の書評は、多分書きません。最近読んだ本ではないので。